そして私はニートになった… その5 許されていた中学生活と許されなかった高校生活

甘やかされた小学校生活も終わり、中学生活が始まりました。中学に上がったばかりの当時、流石の私も頑張らなければと身も気も引き締めてスタートを切ったのですが、やはり勉強にはついていけず、体力もなく運動もできず、次第に落ちぶれていく事になります。

それでも、中学校の同級生は小学生の時の同級生とほとんど変わらず、私がおかしな行動をしていても、『可哀想な子』とされており、イジメのターゲットにされる事などはありませんでした。ただ、私と周りの空気が違う事はなんとなく感じていました。

情緒不安定になっていた私は、友達も少なく、学校をサボり家にいる事も多々ありましたが、何とか進学を決める事が出来ます。しかし、私がやりたかった機械科のある学校は遠く、家庭の金銭的な事情で地元の高校に通う事になります。(私には年上の兄と少し年の離れた弟がいるため金銭的な面は仕方ないのは理解しておりました。)


高校生活は最初は良かったのですが、流石に高校に入ると私を『可哀想な子』扱いはなくなり、甘やかされていた私を良くないと思う人間が数名いました。その数名に嫌われると、今まで仲の良かった連中もどんどん私から離れていくのを感じ、他のクラスに遊びに行くのが当たり前でした、そんな状態ですから、クラスの嫌な役割を押し付けられる様な事も出始め、学校は苦痛でしかなくなり、学校には次第に行けなくなり、最終的に高校を辞めることになります。

辞めるきっかけは幾つかありましたが、最初は体育教師にやりだまにあげられた事でした、特に何かした訳ではなかったのですが、皆の前で立たされ言われたのが、『こういう奴が一番に学校を辞める』でした。周りは笑って、教師も笑っていたのですが、私は悲しかったのは未だに覚えています。

この教師は数年後に自殺するのですが、それを知った私は恥ずかしながら、ざまぁみろと思ってしまい、自分の懐の狭さと人の死にそんな事を思う自分を情けなく思いました、それと同時に、まだ恨んでいるんだと自覚したのを覚えています。

もう1つのきっかけは、イジメにあった事。私を良く思わない方からのイジメ、嫌な役割を押し付けられたり、学校を休んだ日には花が飾ってあったり、極めつけはトイレ掃除をしている時にいきなり殴られたりと、ささいな事でしたが学校に行きたくない理由になりました。流石に殴られた時、やり返そうとしました。私を数度殴りつけた彼は、満足し小便をしていましたので、トイレモップで後頭部をぶん殴ろうとしました、正直殺してやろうと思いましたが、親の顔が浮かんで踏みとどまりました。それが私にとって良かったかは今の私を見ると解りません。ただ、家族にとっては良かったと思います。息子が犯罪者にならずにすんだのですから。


実は私は学校を辞めてもいいと思っていたのはアルバイトをしていたという事もありました、学生の身でしたが月7万程稼いでいましたから、最悪何とかなると思っていたのでしょう。その証拠に学校に通えなくなってしまった時も嘘をついてアルバイトは行っていましたから。


何はともあれ、私は学校を辞める事になります。学校に居場所はありませんでしたが、アルバイト先では真面目に頑張っていたので、そこに居場所はあったのです。辛い思いをして学校に通うより、必要とされる上にお金も貰える、学校に行けなくなっていた自分には選択肢はそれしかなかったのです。しかし、学校を辞めてしまった事は後々後悔を生むことになります。


※学校を辞めた原因を親には話していません、恥ずかしくて、みっともなくて言えませんでした。でも、アルバイト先という逃げ道がなければ、私は自殺を選んでいたと思います。通信高校や定時制という選択肢があることは当時全く知りませんでした。