そして私はニートになった… その8 続無知故に簡単に切り捨てられる

仕事の人間関係も崩れ始めた頃、私を気にかけてくれていた課長が病気で亡くなります。この課長は私が学校を辞めた時、嘘をついてアルバイトしていた時、嘘を知りつつ面倒を見てくれた方でした。


課長さんが亡くなり暫くした頃、私と私を良く思わない上司とで揉め事が起こります。きっかけは、私の態度が気に喰わないと言うのが始まりでした、そこから始まり私は殴る蹴るの暴行を受けます、抵抗はしましたが(この抵抗が良くなかった)、体格の差もあり一方的にやられてしまいます。最終的に顔面を金網に叩きつけられそうになった時に、当時の所長が止めてくれて助かりました、瞼ははれボクサーの試合終了後の様な顔になりましたが、お客さんには派手に転んでぶつけたとごまかし、そのまま働き続けたのを覚えています。

勿論それぞれ事情聴取され、私はありのまま伝えました、多少抵抗した事も正直に話しました。しかし、話に食い違いがあり、私はかなり抵抗をし、さらに私の一撃でアゴを外されたと言う話になっておりました。しかし、私を暴行した上司は昔から喧嘩をしアゴが外れやすく、正直欠伸などでもアゴが外れる事を周りは知っています、何故なら自分で自慢していたから…さらに私の顔を見れば暴力を受けたのはどちらかハッキリしていました。私はこの時に大人のパフォーマンス土下座を始めてみました、しかし、この謝罪は私に対してでなく、所長に対する土下座、クビにはしないでくれという土下座でした。その土下座はあからさまに胡散臭く、土下座を受けた所長が「あれはパフォーマンス土下座だな」と言っているくらいでした。


どの道お互いに対する処分は本部にあげてからとのお達しでした。が、結果は私は予想しなかった方向に向かいました。

所長と暴行した上司は減給処分。私は…所長が私に頭を下げます「申し訳ない、辞表を書いてくれ」私は頭が真っ白になりましたが、無知故にそれを受け入れるしかなかったのです。辞表を書き1ヶ月後には退職がきまりました。その時は1人暮らしをしていたのですが恥ずかしながら実家へ戻る事になりました、両親には合わせる顔がなかった…。しかし、両親は会社に対して怒ってくれました、会社に話しに行こうかとも言ってくれました。しかし私はもういいよと、投げやりになっていたのです。

結局私は辞表をだして1ヶ月を待たず退職する事になります。最後の1ヶ月はしっかり勤めようと思っていましたが、仕事中、私が作業しながらお客様の対応をし、1人、2人、とお客様が増えそれも私が1人で対応するのですが、いつもならぱっと手伝いに来るパートさんたちが来ないんです、何やら楽しそうに私を殴った上司を含め3人くらいで楽しそうに作業してるんです、それもまるで急がない作業を。最初はたまたまと思っていたのですが、それが何度も続き、正直沈みました。恐らく、辞めていく人間だからいいやと思われていたのでしょう。休憩の時もその方達と私が一緒の時間になると空気が悪くなるので、私は休憩もとらなくなりました。どんどん追い詰められ、耐えられなくなり、1ヶ月を待たずに退職させて頂きました。仕事もなく友人もなくなり生きる理由は無くなりました。ただ痛いのは嫌なだけでした。何度かロープに首をかけぶらさがろとした事もあります。



※あの時私に知恵があれば…殴られた顔を治療に行き診断書を取り、法的な手段もとれたはず。警察沙汰にしたって良かったのに、当時私は無知だった。会社は切りやすい方を切った、ただそれだけだった。
当時、技術指導に来ていただいていたそれなりの立場の別会社の方から、東京に行く事になるが面倒を見てあげるよ、と言って貰えたのですが、その時の私には、それに答える気力もありませんでした。
(その方三菱商事の方だったんですよ、今思えば大チャンスだったんです、無知な自分を呪います、社交辞令だったと思う事にしています)